2012年9月12日水曜日

連子鯛めし初体験記

秋田県の海べりの南端に象潟(きさかた)という街がある。標高2,236mの霊峰鳥海山の麓に広がる街で、松尾芭蕉の奥の細道、最北の地としても知られている。そして、海岸線に沿って走る国道7号線脇に道の駅象潟「ねむの丘」http://nemunooka.jp/がある。そして、ここの駐車場には、日本海を背にして10軒ほどの野菜の直売所や飲食店が並び、そのなかには2軒の鮮魚店もある。どちらも四季折々の地魚を楽しませてくれる。特に、7~8月のイワガキ漁のシーズン。どちらの店頭にも地元の象潟や金浦漁港に水揚げされた殻付イワガキが並び、注文に応じて、殻をむいた生イワガキや、殻付の焼きイワガキを提供してくれるが、これが盛況である。開店から閉店まで客の途切れることが無い。ところで生イワガキと焼きイワガキ、どちらも旨いが、個人的には、炭火の上に置かれ、殻の中に残る海水で蒸し焼きとなった焼きイワガキが好きだ。生の海水と身から染み出した肉汁とが絡み合い、そして濃縮された重厚な旨みがある。
おっと、今回は鯛めしの話だ。イワガキはまた別に譲ることとしよう。

さて、9月某日。その「ねむの丘」に立ち寄る機会があった。といっても駅施設の本体ではなく、駐車場に並ぶ件の鮮魚店である。機会あるごとに、ここでは必ず品揃えを確かめているのだが、どちれの店もそれぞれ色とりどりの多様な地魚が並んでいて飽きることが無い。今回も期待を裏切らない。基本的には秋田の南部地方沿岸の港に水揚げされた魚が並ぶ訳であるが、常に必ず、それぞれ独自の魚種が並んでいる。だからこそ楽しい。けれども、その場合、どちらも買いたくなってしまい、結果、気がつけば、予算を超えてしまうのが常である。それが、今回は、「きはつく(ミシマオコゼ)」と「連子鯛(キダイ)」であった。それぞれがそれぞれの店頭に並んでいる。つかの間悩むが、結局どちらも購入してしまう。店のお兄さんは「連子鯛は塩焼きが美味いよ」と言うが、せっかくなので、一段階背伸びして、鯛めしに挑戦してみることに決定する。それに実は、塩焼きは以前に食べたことがある。
さて、これまで「鯛めし」と聞けば、何だか生臭そうな印象が拭えなかった。寿司は別にして、白米に魚をのせるのには、どうも抵抗があるのである。恥ずかしながら、経験したことも無いのに、そのような思い込みが強かった。
 しかしである、店先に並ぶ連子鯛の光輝く姿形の美しさには、その思い込みを乗り越えさせる力があった。黒くつぶらな瞳が、私を食べてと訴えてくるのだ。良し、分かった。そこまで言うなら、食べてやらねばならない。しかし、何でもそうだが、初体験は少し怖い。しかし、何でもそうだが、その先にはきっと目くるめく快感があるはずだ。


さて、まな板の上におとなしく横たわっている彼女をじっくりと見回す。身長25cm、B22:W18:H16といったところか。足首だけはキュッと締まる。お互いの緊張を解きほぐすために「よろしくね」と声をかけてみる。返事が無いのはOKの証。片手を彼女の肩に置き、まな板に押さえつけてみる。果たして、嫌がる様子は無い。はやる心を抑えながら、一枚一枚、鱗を脱がせていく。ここで先を急ぐと、後で鱗が口のなかにへばり付いて嫌なことになるので慌ててはいけない。特にアゴの辺りは念入りに。そして、とうとう彼女は一糸まとわぬ姿となったが、期待は大きく外れる。多くの場合、そうであるように(伝え聞くところによれば)、私、脱いでも凄いんです。とはいかないようだ。しかし、男子たるもの一度出したなら、その手は引っ込めてはならない。彼女が腐ってしまう(本当に)。

B22:W18:H16
えい、ままよと、次の段階へと進む。エラとワタを外し、きれいに水で洗い流し、水気をふき取り、そして、軽く塩を当てる。10分ほど置いて、出てきた汗を軽くふきとったら、グリルに入れて、表裏をこんがりと焼き上げる。さて、ここからは、本当に未体験ゾーンであるので、How-to本(スイカさんのレシピ:http://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1760003703/ )に従うこととする。米三合と規定量の水に酒と醤油を大さじ1を加え、焼き上げた連子鯛をのっけて、普通に炊き上げるだけ。極めて簡単。ただ、当然のことではあるが、身長25cmが入るくらいの大きな釜が必要で、冬にハタハタの飯寿司をつくるためにしまっておいた5合炊きの釜を、がさごそと物置きから持ち出してくる。


 炊飯器に入れる前の塩焼き状態で十分に美味そうな香りがしてきて、そのままで食べたい欲求が起こるが、まだまだ我慢である。あわてない。あわてない。
 炊スイッチを押して、炊き上がるまで静かに過ごして待つ。しかし、そのうちに、膨らんだ米とジャーの上ブタの間で潰れていないかだとか、分量を間違えてグシャグシャになっていないかだとか、気になって気になって、フタを開けて確認したくなるが、じっと我慢する。しばらくすると、ジャーの頭からシュルシュルとかすかに甘く香ばしい湯気が噴出してくる。これは期待できそうだ。


果たして、少しだけ米に埋もれ、しっぽりとした姿で、彼女は現れた。少し前に期待外れだなどと考えた自分を深く恥じ入る。そして心の中で彼女に謝る。さっそく、ヒレや骨を外し、ほぐした身をご飯とを混ぜ合わせて、いただくくことにしよう。


ベースはたしかに魚の味であるが、大さじ一杯ずつの醤油と酒が丁度良く、子供のころに食べた山栗のようなほっこりとした甘さと旨さである。時々、現れる大きめの身肉も歯ごたえが良い。小ネギを散らしてみるが、連子鯛の実力に前には不要であった。かえって味を損なってしまう。恐れていた生臭みなどは一切感じることがない。柚子胡椒もとてもいい薬味である。参考にしたレシピでは柚子胡椒も合わせ混ぜるとあるが、後足しの方が良い。一口一口、柚子胡椒の量を変えて、連子鯛とのバランスを楽しむことが出来る。取り分けておいた骨にもむしゃぶりつく。まさに骨まで愛してしまったのである。目くるめく快感に理性を忘れ、初体験だというのに3回もおかわりをしてしまう官能の一夜であった。
さて翌朝。昨夜の出来事を忘れることが出来ない。また味わってみたい欲求がむくむくと頭をもたげてきて仕方が無い。それじゃあ、今度は鯛茶にしてみようと思い立つ。濃いめの煎茶のすっきりとした渋味が、連子鯛の旨みを引き立たせているようだ。少量のワサビも合う。朝から2回もおかわりをしてしまった
ところで、よく調べてみると、連子鯛は初夏と秋の年2回成熟するそうだ。それに性転換するらしい。もしかすると、“彼女”は“彼”だったかも知れない。
 
 

2012年9月9日日曜日

HataHata Revolution

秋田と云えばハタハタ。ハタハタと云えば秋田である。そのハタハタにとって、今年、2012年は歴史的な年となりそうだ。となれば、秋田にとっても歴史的な年になるのだ。もちろん当のハタハタに自覚は無いだろうが、そうなのである。何が歴史的なのかと言えば、ハタハタも、そして我々秋田県人も経験したことの無い食べ方が、続々と登場しているのである。まずは、ハタハタの活け締めに始まり(2012ハタハタ・ヌーベル・キュイジーヌ編参照)、ハタハタ丼、そして極め付けはハタハタせんべい。それにパンまで!まさにハタハタ食文化大革命である。

男鹿ハタハタ丼 平成24年4月1日デビュー
男鹿のハタハタが一年中、いろんな丼で味わえます。以下、これまで食べたハタハタ丼。
男鹿ハタハタ丼3か条:1.ハタハタを使うこと、2.しょっつるを使うこと、3.昼食メニューであること。
船川港湾食堂 ハタハタ白波丼:白髪ねぎと岩のりが男鹿の海をイメージさせる。
 
福の家 ハタカバ丼:小さな白い小粒はブリコ(卵)。まさに親子丼。
 
ハタハタデニッシュ(原材料:もちろんハタハタは一部も含まれていません。)

 
ハタハタ姿せんべい:まるで化石。明かりに透かして食べると楽しい。味付けにはしょっつるが。
                              
その昔、厳しい真冬に、雷鳴とともに浜に群れをなして訪れ、恵みをもたらす鰰(はたはた)は、読んで字のごとくまさに神の魚であった。したがって、神の魚には、神の魚たるべくその道を外れてはならない食の作法があるのだ。すなわち、生で食べたり、丼ものにしたり、まっ平らにプレスしてしまうのは、神の怒りに触れる忌むべき行為であるのだ。しかし、それもすでに過去形になろうとしている。つまり、昔ながらの食べ方では誰もハタハタを食べない時代になってきたのである。我々、40歳代は、かろうじて昔ながらのハタハタ食文化を継承している。つまり、季節ハタハタ漁(11月後半から12月中旬にかけて繁殖のため沿岸に訪れるハタハタを漁獲する漁を秋田ではこのように呼ぶ。)の時期になると、いてもたっても居られなく落ち着かなくなる。そして、蜘蛛が巣を張るように、いつハタハタが来ても、直ぐにも喰ってやる体制を整え始めるのだ。ハタハタと秋田県人は遠距離恋愛のカップルに例えると分かり易いかも知れない。それほどまでに、ハタハタと秋田県人には切っても切れない関係があり、体内時計にもハタハタの季節が刻み込まれているのである。そしてハタハタは、朝も昼も夜も、毎食、軽く10匹は食べる魚であったのだ。しかし、同じ秋田県人でも20歳代になると、そんな気持ちはまったく起こらないと云う。つまり、ハタハタなぞ別に喰わなくとも年越しは出来るし、生きる上で支障はないのだそうだ。ハタハタ草食系とも言えるか。そうなった原因は様々あるのだろうが、そのような世代に、食文化だからと昔ながらのハタハタの食べ方を押し付けても仕方が無い。食べ物は頭で食べるものではないからである。とすれば、しかし、それが主流になることは無いとは思うが、新しい食べ方が提案されて良いのだろうし、離れてしまったハタハタ食を引き寄せるきっかけにはなるだろう。先日、秋田の食材と料理人との商談会を覗く機会があった。ハタハタの新メニューも紹介されていたのだが、どれもこれもお洒落で、手軽に食べられるようになっていて、多くの料理人の関心を引いていた。



大手ビール会社とのタイアップPR
ゴマフリット(3種の中ではこれがうまかった)
ハタハタの甘辛タレ漬

ハタハタのカレー南蛮漬け

老舗からもハタハタの持つ良質な脂質に着目した新商品群が登場


ハタハタ飯寿司の老舗も出展されていたが、話を伺ってみると、多くの消費者は、これまでに無かった新しい商品群の購入を契機として、古くからの飯寿司にも興味を持ってくれるのだそうだ。ハタハタなど見向きもしなかった人達の関心が、新しい食べ方を通して、古い伝統的な食文化にまで深められていくのである。だからこそ、伝統の食文化を絶やしてはならないし、新しい食べ方も否定してはならない。2012年。ハタハタ食復権の年である。

三島丸乗船記(その3)・・・男鹿の棒あなご

つづき(最終話)

午前3:30作業終了。その後、短い仮眠をとり、朝9:00頃に、もう一度腹わたを絞り出すのだと云う。あのグロテスクな魚が、美味い「棒あなご」に変身するには、これほど手間がかかるのである。それにしても一日中働いて疲れているであろうに、三島丸のプロ根性には頭が下がる。
私も一旦自宅へ戻り、9:00に港に来てみる。すると、すでに絞り出しの作業は終えたとのこと。すべての行程を見られなかったことは残念ではあったが、ほぼ丸一日かけて「棒あなご」を作りだす苦労を垣間見た気がする。
この棒状の生干し状態のまま、急速冷凍され、男鹿では街中の鮮魚店や、スーパー、料理店などへ出荷されるが、その姿は、長い釘というか、木の枝というか、すなわち、「棒あなご」と呼ばれる所以である。






ヌタウナギの仲間の食習慣は、隣国の韓国にもあると云う。というよりも、そちらが本場らしい。しかしである。コチュジャンで炒めたり、稲わらで包み焼きにする調理法のようで、食べもせずに比べてしまうのもどうかと思うが、ヌタウナギ本来の旨さを120%引き出しているのは、この三島丸の「棒あなご」に限る。
この場合、冷凍のまま中火で約10分、程よい焦げ目を付けて焼きあげるのであるが、まず、調味料を加えて炒めたりしては、決して味わえないものに、皮の香ばしさがある。焼くと皮はパリパリに仕上がるので、食感までが香ばしい。そして、皮ぎしには上品な脂があり、歯応えのある身肉に至る。白身の肉の弾力は、これ以上でも以下でも駄目という絶妙なバランスで、一瞬、歯を押し戻そうとするが、その途端、サクッと歯が通っていく。
「棒あなご」は冷凍で長期保存が可能であるが、やはり漁期の7~10月、特に夏の酒肴に抜群で、ビールが合う。男鹿の大人達は「棒あなご1本、生大3杯」と云う(冗談)。





素材が素晴らしいので、薬味は無くとも十分に美味いが、大根おろしと醤油、それに七味唐辛子が一般的である。もしかすると、わさびも合うかも知れない。今度、やってみよう。
いずれにしても、三島丸御夫婦にはいつまでも元気で、美味い「棒あなご」を作り続けて欲しい。



三島丸乗船記(その2)・・・男鹿の棒あなご

つづき

船に乗るときはいつも思うのであるが、海の上で見る日の出、日の入りには心動かされるものがある。しかし、これが毎日であればどうなのだろうか。日常という意味では同じであろうが、ただ、それでも、コンクリートの箱の中でいつ日が暮れたのかも気に留めることも無い日常に比べるとはるかに人間本来の生き方に近いと思う。そんな私の思いをさとった訳ではないと思うが、三島の船長は、どこからともなく取り出したイカ針を操り、自分の日常を楽しみ始める。

 
 
例年8月には、スルメイカの群れはすでに青森県まで北上しているのだが、今年は、まだ、秋田沖にいると云う。前回、出漁した際には、スルメイカが釣れたらしいのだが、残念ながら、今回はボウズ。そうこうしているうちに、日はとっぷりと暮れ、沖合にはスルメイカ釣り漁船の漁火が見えだす。それから1時間ほど、アナゴの動きを待つ間、簡単な夕食を摂り、一休みである。三島丸は機関を停止し錨泊していて船縁を叩く波音のほかは、静寂に包まれている。時折、遠くから貨物船のくぐもるようなエンジン音が近づいては過ぎ去っていく。
 

 
 
20時40分。それまでの静けさから一転、60馬力ディーゼルが唸りを上げて、戦闘モードに突入。揚縄機(鼓のようなドラムが回転して縄を巻き上げる機械、ラインホーラー)のドラムが回りだし、「どう」の残餌や砂泥を洗い流すための海水ポンプも動き出す。作業灯が辺りを煌々と照らし出す。そして、いよいよ仕掛けの引き上げである。
まず、日没前に投入した仕掛けの一端に繋がるボンデンを手繰り寄せて、海底まで300m程のロープを巻き上げる。「どう」はその後に続く長さ5kmもの幹縄に、50m毎に100個付いている。
しばらくして、白白と眩しい作業灯とは対照的にぬらりとした漆黒の海面から、最初の「どう」が現れる。
待望の1個目の「どう」である。船縁に手繰り寄せ船上に引き上げ、アラブの頭巾のような布製の蓋を外してひっくり返すと、獲物が出てくる。果たして、「どう」の出口からは1匹のやや小振りなアナゴが元気に顔を出した。顔を出すといっても、眼は皮の下に埋もれているし、何本からの口ひげはあるが、アゴの骨も無い。実はこの「アナゴ」、アナゴであってアナゴでは無い。普通、アナゴと云えば、江戸前の羽田沖のアナゴ、天ぷらや白焼きなどで知られるマアナゴを指す。では、今回のアナゴは何者か。実は深海魚クロヌタウナギである。男鹿ではこの魚を昔からアナゴと呼んでいて、男鹿の人間が「アナゴを喰いたいな」思うとき、脳裏に描く姿は、このクロヌタウナギのものであり、そして、男鹿名産の一つであると自慢する。
 
 
 
  
 
 
 とはいっても、男鹿に住んでいてもアナゴの生きている姿を思い浮かべることの出来る人はそうはいないであろう。それはそれで良いことかも知れない。この姿形は決して食欲を沸かせるものではない。では、なぜ、それでも男鹿の名産となっているのであろうか。
 
 
 
 
 
 
もちろん、美味いからなのであるが、それもこれも、三島の船長の丁寧な下処理があるからで、この魚の特徴である強烈な粘液や腹わたを取り除いているからである。男鹿以外でも食習慣はあったが、ここまで丁寧な処理をせずに、串刺しにして焼き上げるだけなので、雑味が多いように思う。
 
さて、最後の「どう」が引き上げられたのは23:20頃であったので、5kmの仕掛け全てを引き上げるには3時間近く掛かったことになる。それから、また3時間程かけて漁港に戻り、午前2:20。休む間もなく、すぐさま、下処理に入る。サイズを揃えて串刺しにし、台にかけて一匹一匹、粘液と腹わたを丁寧にしごき落とす。今日はあまり漁模様が良くなかったので、下処理は小一時間ほどで終了する。それでも、残渣や船上の片付けを終えたのは午前3:30であった。
下処理の際に、奥さんが手伝いに入るものの、以前は、出港から帰港までの作業を一人で行なっていたと云う。70歳を超えた今は漁の際にも2~3人の手伝いをお願いしている。
これから5時間ほど、浜風だけで風乾し、「棒あなご」となる。
 
つづく


 

2012年9月6日木曜日

三島丸乗船記(その1)・・・男鹿の棒あなご


2012年8月某日、アナゴ漁船三島丸が出漁すると聞き付ける。さて、8月某日の翌日、午後13:00。炎天下の男鹿半島平沢漁港に立つ。うだるような暑さのなかで、何もしていないのに汗が流れる。しばらくして、船長が軽トラでやってきた。温和な性格がにじみ出たにこやかな顔。「ど~も、よろしくお願いします!」。すぐさま機関始動、出港、そして涼やかな海風を期待したのだが、現実はそう甘いものではない。まず、何から始まるのかといえば、アナゴを獲る「どう」に餌を込め作業があるのだそうだ。内心「うへぇ~」と思ったが、船だまりから少し先の水路には橋があり、その下での作業で、暑さはいくぶん和らぐ。餌は冷凍のソウダガツオや小サバを使うそうだが、「どう」それぞれに入れる餌の分量を確かめながらの仕込み作業。所作の一つ一つに熟練の技を感じるのはやや感傷的か。とはいえ、手抜きをしないプロの生真面目さがある。



「どう」は100個あるのだが、すべての餌込めを30分ほどで終えると、船は一路、漁場を目して、青い海をかき分けて進む。今日向かう予定の漁場までは約3時間30分。ただの同乗者には長いといえば長い時間であるが、何もかもが新鮮なので、飽きることは無い。しかし、船長はといえば、進路を塞ぐ流れ物(流木など)や、他船の動きなど、安全監視を怠ることがない。



さて、ただの同乗者は、呑気なもので男鹿半島の断崖や水面を走るトビウオを眺めたりしながら船上を過ごす。船のおもて(前甲板)、とも(後甲板)、船縁には所狭しと高さ約50cm、ひと抱えもある100個の「どう」が並ぶが、さながら、昼下がりのブルジュ・ハリファといった風情でユーモラスである。そんなことを考えながら、午後17時30分、漁場到着。



ただの同乗者は、すわ戦闘開始かと意気込むが、まず、錨を投入する。海底に達した錨の爪側(錨冠、「かしら」とも)に結わえられたロープが海面まで伸びるが、そこで発泡スチロールのフロート(樽)に繋がる。さらにフロートから伸びるロープの先にはボンデン(小旗の付いた竹竿を浮き玉に取り付けたもの)が繋がっている。鯉のぼりに例えると、樽は矢車、ボンデンは吹流しに相当するのであろうか。樽とボンデンの海面での位置関係から、潮の流れを読むのである。つまり、樽(矢車)よりも、ボンデン(吹流し)が南側にあれば、潮は北から南へと流れていることになる。同時に、ボンデンの竹竿と小旗の傾き具合も見る。竹竿と小旗が潮の流れと逆方向に傾いている場合は、海上の風向きと、海中の潮の流れが逆になっていることになる。
この潮の流れを読み違えると、「どう」がうまく着底せず、不漁に終わるのだと云う。机の上では、ただ仕掛けを入れれば、魚が獲れると考えてしまうのだが、素人の浅はかさである。恐らく、多くの人もそう考えているのではなかろうか。大間のマグロ漁師などの話題もテレビで見ることはあるが、テレビはやはり平面的にしか伝わらない。なんとなく凄いなとは思ってもそれまでである。

さて、潮の流れを読みボンデンを引き上げて、いよいよ仕掛けを投入していく。小一時間ほどかけて、100個の「どう」を海底に投入していくのだが、「どう」は枝縄と呼ばれるロープの先に、投入直前にフックで取り付けられ、その枝縄は50m間隔で、メインの幹縄に結ばれる。結果、幹縄は、全長5kmにもなるのだという。





  

さて、100人のアラブの王族達は期待を胸にし、次々に水深100m前後の海底へと飛び込んで行く。アナゴ漁は、日没から1時間が勝負なのだと船長は云う。アナゴが活動するその1時間を狙って仕掛けを入れて行く。それより早いと、他の生き物に餌が取られてしまい、遅いと、アナゴは喰いつかないのだと云う。
日没まで15分程残し、すべての仕掛け投入が終わる。これから1時間余り、海底のアナゴが餌の匂いに鼻をひくつかせなから動き出して、ぬたりぬたりと「どう」に入り込み、狂喜乱舞して、餌に喰らい付く様を想像して待つ。



つづく